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犬枕

犬の 日記落書き思うこと

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2024/04/28(Sun)23:30

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無題

2009/08/08(Sat)23:14

下の記事を書きながらふと思った。


>不思議なもんで、そうやって描いてるうちにだんだん好きになってくるんですよねー。


このことに気付いたのはごく最近なのですが。


これは絶対私だけの感覚ではないと思うのですが。
絵を描いていて、もうすぐ仕上がるという段になってくると、急に描き終えたくなくなることってないですか?
なんか、描き終わるのが勿体無くなってくるというか、いつまでも描いていたくなるというか。


まあそんなことも言ってられないので、ここらで、と言った感じでケリをつけるわけですが、名残惜しくなっちゃうんですよねー。

特に私などは一枚の絵を描くのに時間がかかるほうなので(特に下描き)、描いてるうちに愛着というか執着というか情がうつるというか、そういう感じになってしまっているのだろうなと思います。

描き終えた瞬間に、どこか「自分の手を離れる」感覚になるんだろうなあ。
達成感とほんの少しの喪失感。
この感情の正体はなんなんでしょうね。


よく自分の作品を「自分の子供のようなもの」って表現する人がいますけど、こういうことなのでしょうか。

こんなこというと自惚れっぽく聞こえるかもしれませんけど、私、私の絵が好きだ。

あ、いや、ツッコミどころは満載なんですけどね。ここ変だろ、とかこれは下手した、とかいっぱいあるんですけど。

大きな意味で「好き」なんです。

ああ、絵が、っつうよか、そこに描いてあるものが好きになる感じ。
最近だと女の子の絵が圧倒的に多いんで、その娘を好きになってしまう。



ひとつ覚悟をするならば、絵を描くのが楽しくなくなったら、描いた娘を好きになれなくなったら、私は絵を描くのをやめる。


完全にやめるのか、中断なのか、それはその時になってみないと分かりませんが。


とりあえず今のところはそんな(かなり気持ち悪い感じで)描いていられるので…状態としては悪くないんじゃないかな、と思われます。


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No.357|絵を描くことComment(2)Trackback()

てとぺってんとん。

2009/04/03(Fri)20:21

ちょっと前のことなんですが、ある女の子に彼女が使っている手帳に「絵を描いてください」と頼まれました。
この春、鶴岡を離れ地元で就職するとのことなので、記念にというかそういう感じで。

んで、その子の似顔絵を描いて差し上げたんですね。ここでいつものエゴ丸出しのいつもの自分の絵描いてもなんだかな、と思ったので。

嬉しいことに大変喜んでいただけて。
「(これを見て)元気に生きていけます」とまでおっしゃっていただけました。


んで、ふと思ったのですが、「絵」っつうのはやっぱりそれを見るひとのものなのだな、と。
ほんと、私はただ描いてるだけ。見た人のこころの動きが「絵」なんだな。


私の絵を見て、感想を持ってくださる方が(ありがたいことに)居ますけど、それって、私の絵の感想を、私に対して言っているようで、実は自分自身のことを自分自身に対して言っているんじゃないかな。
だから、絵を通して「私の想いが伝わった」んじゃなくて、その人がもともと持っているものが「出てきた」だけなんじゃないかな。


先の彼女も、私の絵を見て元気が出てくるんじゃなくて、その元気はもともとその子が持っていたものなんだよ。きっとそう。


どうもやっぱり「私の想いを伝えるんだーどうだーこれでもかーこれが私じゃー」みたいに余計な力が入りがちで。「『作品』を造るんだ、私が造るんだ!!」みたいなね。
それもいいんだけど、力込めたわりには大して意味がないというか。そこじゃないなあ、と。


私の絵は見てくださるひとのもの。
見てくださるひとの生き方とか想いとか大事なものとか、それこそが「作品」。
それは私が造るんじゃない。

私は、ただ描くだけ。


うん、力抜いていこう。
私のことなんかこの際どうでもいいわ、ほんと(笑)。
押し付けがましいものなんて、世の中に山ほどあって、みんなもううんざりでしょ?

No.344|絵を描くことComment(0)Trackback()

希望。

2008/10/12(Sun)22:30

人を打ちのめす絵を。


でも、絶望などさせたくない。



絶望、厭、嫌い、悲しい、死にたい。



そんなものは現実世界にいくらでも溢れてる。



そんなものを、絵という非現実でまで突きつけて何になる。

少なくとも、私はそれに意味を感じない。


そんなもの、わざわざ与えずとも避けられやしないのだから。



人を打ちのめす絵を。


そうでなければ意味がない。


でも、


希望を。


あなたに希望を。



(もう二度と死にたいなどと言わせない)



あなたを愛してる。
私はあなたを愛してる。


だから生きて。
生きて
生きて
生きて下さい。



私の為でなくてもいいから


生きて
生きて
生きて下さい。



生きているあなたを見ていたいのです。



どうか。

生きて
生きて
生きて下さい。



(私が出来ることといえば絵を描くことくらいです。それくらいしか、あなたにしてあげられることなどない。贖罪?そうかもしれない。でも、精一杯やります。)




この世界に、これ以上、絶望など要りますか?



あなたに、希望を愛を、花束にして贈ります。



愛してる!
愛してる!
愛してる!


No.310|絵を描くことComment(0)Trackback()

顔を見せて

2008/09/14(Sun)19:08

描きたい娘がいる。


逃げないで。こっちを向いて。



顔を見せて。





No.301|絵を描くことComment(0)Trackback()

愛し愛されて生きるのさ。

2008/07/22(Tue)00:34

昨日はバートラッシュにて行われたアコースティックライブに行ってまいりました。
 

中に入ると一本のギターの横に真っ白いキャンパスが掲げられておりました。
この日は佐藤正春氏によるトルエン姉妹とイラストレーター(という括りに収めきれない活動を展開していらっしゃる)awoiさんのコラボで音と絵の共演が行われたんですね。
最初後方に座っておりました私ですが、始まるや否やもっとよく見たくなり最前列に移動。体育座りで熱く見つめさせていただきました。
 

よく考えてみたら人が絵を描くのを見る機会って、学校卒業してからはほとんど無いんですよね。
更にリスペクトしているawoiさんのパフォーマンスとあって大変興味深く鑑賞いたしました。
音が即興なら絵も即興。awoiさんは正春さんのギターの音を受信しつつ発信。
 

こ、これはすごい。
 

私はどうしても絵を描く視点から見てしまいますが、絵を描くという行為事態がこんなにドラマティックになりえるのかと思いました。
絵と音楽って全然違う表現手段ですけれど、似た部分がたくさんあるんですよね。音には色があるし、絵にはリズムやメロディーがある。不思議です。
完成した絵はawoiさんのサイトのギャラリーにUPされるそうなのでこちらからゼヒ。
 

私の場合、描くものを頭の中で割と細かく構成して下描きを重ねて重ねて描くほうなんで、即興とかライブペインティングには向かないというかむしろ無理とか思っていたのですが、うーん、ちょっとやってみたいかもだ。
 


ぎゅぎゅーんと刺激を受けたこの日でありましたが、打ち上げでわたくしはまたしても衝撃を受けることになるのです。
 


客席に、仙台からIkasama宗教の安倍せーきさんがいらしていて、打ち上げでお話しさせていただいてた時のことなんですが、「人は生まれたくて生まれてくるんだ」みたいな話になったんですね。
 

その時に酒が入って若干気の大きくなったわたくしは、そーっすよほんと生んでくれなんて頼んだ覚えは無いなんてありえねーんですよ少なくとも私は生まれてきたくて生まれてきたと思ってます更に言うならよく子は親を選べないなんて言いますけど私は今の母のところに生まれたくてこの母を選んでおなかにやってきたんだと思ってます私はそう信じてます…とまくしたてたところ、安倍さんが静かに「絵もそうなんだよ」と。
「絵のほうで、あなたに描いて欲しいと思ってるんだよ」
 

その瞬間、全身に戦慄が走りました。
 

安倍さんは更に続けます。
「絵も、あなたのことが好きなんですよ」
「絵が描く人を選んで生まれてくるんです」
 

すすすすると安倍さんもしかしたら私に描いて欲しいと思ってる絵達がいるってことですか描いてー描いてーって言って待ってるんですか私はただ絵を描くのが好きだと思っていましたけど私が今まで描いてきた絵達と私は相思相愛ってことですかこれから描く絵達も私を愛してくれるんですか
 

「そうですよ」
「だから描ける人は描かなくちゃいけないんですよ」
「産んであげなくちゃいけないんですよ」
 

そうか、と思いました。
「なんで私は絵を描くのが好きなんだろう」って思ったりすることがあったんですけど、そういうことだったんですね。
今まで私が気付いていなかっただけで、私が描いた絵は私のことが好きだったんですね。
なんか、今まで描いてきた絵が急に愛しくなりました。そしてこれから描くであろう絵のことも。
 

絵に限らず、この世のすべての表現者の表現欲求の源ってそこなのかも。
愛し、愛されたいってことなのかも。
それなら「それなしでは生きていけない」のは当たり前だわ。
 

生まれてきたい命があって、生んでくれる人(表現者)を選んでやってきて、そしてその人を通してこの世に作品として生を受ける。
そしていろいろな人がその命に出会って影響を受けたり何かに気付いたり(つまり感動)する。
そうしてその命が育っていく。
 

すげえ。なんかとんでもねえ。とんでもねえけどでも…それなら私は産みたい。そして育てたい。
と思ってしまった。わあ。
 

安倍さんは、表現者としての覚悟が決まってらっしゃるのだな。そしてその覚悟があるのとないのとではかなり違うのだ。
 


なんかもっといろいろ考えたこととかお伝えしたいこととかあるんですけれど、言葉にしつくせません。
 

その分、描けば良いのだね。
本当に私が絵を好きならば、絵が私を好きでいてくれるのならば、絵がきっと私を助けてくれるはずですよね。
 

No.272|絵を描くことComment(4)Trackback()