か、どうかは知りませんが。
ここ数年、一月は心身ともに不調になることが多い気がします。
今年は腰を痛めて3日ほどまともに歩けくなってびっくりしました。
あと、表現することについてこれまでにない程の葛藤を経験しました。
自分が表現することが(内容ではなくて、表現すること自体が)人を追い詰めたという事実。
コミュニケーション不足による誤解、いろいろな覚悟、等々。
一時は途方に暮れ、見失いかけたりもしましたが、なんとか踏みとどまれそうです。
しつこい性格が幸いしたというか。
もうちょっとでいろいろ形に出来そうです。
でも、完成ではない。
ああ、そうなんです。
最近思ったんですけど、なんつーか、全てのことが、一生「出来損ない」なんではないかと。
出来損ないの垂れ流し。すいません。
絵も、言葉も、料理も、化粧も、人格も、アレも、コレも。
生きてるうちは出来損ない。
発表するものは「その時点での自分」であって、やっぱりそれは何かの途中のような気がするのです。
だからこそ、見た人がそこから何か発見してくれたり、成長させてくれたりする。
もしこれが「完成」であったとしたなら、自分の中で完結して終ってしまいますもの。
(あ、でも、そうしておいたほうがいいものもあって、それはそれでしまっておくわけですけれども)
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